ただひたすらに堕ちていくこと。
どこまでも。
どこまでも…。
堕落すること。
言いだしっぺがどっちだったのかすら覚えていない。
僕だったのかもしれない。
英二だったかもしれない。
そんなことは今となっては、どうでも良いことだ。
ただ一つ言えることは、僕も英ニもギリギリで、自分を保つためにはそうするしかなかったということだ。
ただ自堕落に快楽に溺れること。
それが淫らであればあるほど、妖艶であればあるほど、僕も英ニも現実から眼を背くことができるのだ。
一時的にそうやってお互いを慰めあう場所を作ることで、僕らはなんとか現実に踏みとどまっていられた。
僕の、そして英ニ、の自我をこれ以上狂わせないためには、それしかなかったのだ。
三年生になったばかりのころ、手塚は僕に好きだと言った。
桜が満開の季節だった。
僕は嬉しかった。
嬉しくてたまらなかった…。
ずっとずっと手塚が好きだったー…好きで好きで仕方がなかった。
でも言えなかった。
テニスが全ての手塚に、僕を見て欲しいだなんて口が裂けても言えなかった。
手塚に嫌われたくなかった。
この密かに胸に秘めた恋心を、僕は誰にも見せず、誰にも触れさせずに墓場まで持っていくつもりだったんだ。
でも…。
手塚が僕に好きだと言った。
桜の花びらの舞う、通学路の並木道で。
夢を見ているみたいだった。
ドキドキした。
心臓が壊れてしまうんじゃないかって、思ったぐらい。
僕は言った。
「僕も。僕も…君が好き。」
でもそれだけだった。
僕が夜も眠れなくなるほど期待したことは、一切起こらなかった。
手塚は僕に「好きだ」と言ったことを、けろっと忘れたように、何事もなかったように日々を過ごしていた。
テニス部に、生徒会に、充実そうな日々を手塚は過ごしているようだった。
デートに誘われたこともない。
僕がなけなしの勇気を出して誘った休日のデートを、手塚が了承した日はなかった。
ただの一日も。
手塚が忙しいのは知ってる。
でもこんなのってない…こんなのってないよって思った。
ごくたまに一緒に帰った。
でも本当にそれだけだった。
手塚は僕に何も求めてこなかった。
手でさへも繋ごうとしなかった。
ごくたまに一緒に帰ったと言ったって約束があったわけじゃない。
本当にたまたま、昇降口で、校門で、出会った時だけだ。
偶然だけが、手塚の隣にいられるための時間を作った。
あの日の手塚の告白は何だったんだろう。
その思考が、僕の胸を締め付ける。
僕が見た白昼夢…?
僕が…僕が彼を欲したあまりに…見てしまった幻覚…?
そんなはずはない。
あの時は確かに、現実だった。
あの時の手塚の声は、リアルだった。
「僕達って付き合ってるんだよね?」
簡単なことが聞けなかった。
怖かった。
自信がなかった。
手塚の態度があまりに普段どおりで。冷たくて。
何度も何度も聞こうと思った。
あの桜並木の通りで、君がいったことは夢じゃないんだよね?
実際にこの世界で起こった現実の出来事なんだよね?
でも聞けなかった…。
どうしても聞けなかったんだ…。
越前の存在を知ってしまったから。
あの日の手塚の言葉は、手塚が越前と出会う前日のことだ。
でも手塚は出会ってしまった。
越前に。
ひょっとしたら手塚は越前と出会った瞬間に、僕への気持ちなどすっかり綺麗サッパリ吹き飛んで、忘れてしまったのかもしれない。
そう思った。
そう思えば、これまでの辻褄が全て合うような気がしたんだ。
なんの確証もないけれど。
越前が入部してから、手塚の目が僕よりも越前を追うことが多くなったことを僕は知っていたから。
手塚の興味の対象が僕から越前に移ってしまったんだって…思った…。
苦しい。
苦しかった。
胃がキリキリして、眠れない夜が続いた。
あの日が、無ければ良かったのに。
あの日を手塚が僕にくれなければ、僕はこんなにも苦痛を味わうことなく済んだに違いない。
僕のささいな恋心を、僕はそっと静かに僕の中の小さな箱の中にしまいこんで、忘れようと捨てようと努力したのに。
手塚があの日に言葉をくれたから。
溢れてしまう。
手塚への想いが。
縋ってしまう。
もっと欲しくなる。
我慢できなくなる。
君が好きだと。
もっと、もっと君が欲しいー…と。
でも手塚はあれから僕に何一つ大切な言葉をくれないまま、九州へ行ってしまった。
僕はもう限界だったんだ。
溢れ出て、止め方を忘れてしまった…君への想いで潰れそうで。
そんな中、僕の側にはつねに英二がいてくれた。
英ニが限界だったのも僕は知っている。
英ニはずっと大石が好きだったんだ。
英ニはずっとそれが言えなくて。
英ニはわかっていたんだ。
自分の想いが片思いであること。
大石が英ニを想う「好き」が、英ニの中にある「好き」と意味が違うことを。
僕達は互いの体を重ねて、慰めあった。
傷を負った僕達は、他に傷の癒し方を知らなかった。
いや…僕と英二が体を重ねたところで、僕も英ニも癒されるなんてことはないんだ。
これは、一時的な応急処置に過ぎないんだ。
現実を忘れるための、自分をこれ以上壊さないための…最終手段だったんだ。
それでも体は正直だった。
僕の体は快楽を求めていた。そして、英ニも。
どんなに求めても足りなくて、足りなくて。
次第に僕と英ニは時と場所を選ばなくなっていた…いや、選べなくなっていった。
慣れれば慣れるほど、薬の持続時間というのは、短くなるものなんだ。
その日、僕と英ニは我慢できなくて、部室でこっそり熱く唇を重ねあった。
手塚、
手塚、
手塚、
僕の頭の中は…胸の中は、手塚で一杯だ。
きっと英ニの頭の中も、大石で溢れているに違いなかった。
「なにを、しているんだ、お前達は」
その声に僕と英ニは飛び上がった。
その威厳に満ち溢れた厳格な声は…
僕がずっと聞きたくてたまらなかった…手塚の声。
「てづっか…」
手塚がいた。
ただでさえ普段から鬼のような顔をしているのに。
これでもかと顔をしかめて。
見られた。
僕の顔から血の気が引いた。
帰ってきたの今日…?
知らない。
そんなこと知らない。
聞いてなかった。
聞いてないよ、手塚。
本当に、手塚は僕に何も教えてくれないんだね。
「不二」
ビクッと僕の体は震えた。
こんな時だけ…そんな眼で見るのか…手塚は…。
「不二!」
どうしてこんな時だけ、手塚は僕を責めるんだ。
部室でしたいかがわしいことを怒っているなら…僕だけじゃない。英ニだっているのに。
「来い」
手塚は僕の手首を痛いくらい強く掴んで、僕を引っ張っていく。
「痛いっ…痛いよ…てづっ…」
ポツポツと空から雨が降ってきて、すぐにそれは土砂降りになった。
手塚は構わずに僕を、人気の無い体育館倉庫の裏まで連れて行く。
「……いつからだ?」
手塚はそう言って、僕を見据えた。
その眼差しは、軽蔑の色。
「なにっ…が」
うまく声が出ない。声が震える。
「いつから菊丸とは、そういった関係なのかと聞いている。」
「君には…もう関係ない…だろ…そんなことっ」
ああ、この雨が僕の涙を押し流していく。
「そうか…。」
手塚はゆっくりと僕の腕を離した。
僕の白い腕には、赤く手塚に握られた跡が残っている。
「お前の気持ちはよくわかった。別れよう、不二。」
別れよう、不二。
その言葉が僕の胸に突き刺さる。
研ぎ澄まされた刃となって。
「なに…いってるんだ…手塚…」
君は…君の中では、君の意志では、僕とつきあっていたというの?
つきあうようなことなんて、何一つしてなかったじゃないか!
君の心の中に、僕はいたの?
本当に?
本当に君は、僕を想っていてくれたの?
越前ではなくて…僕が?
「好きだった…不二。とても…残念だ。今まで…ありがとう。」
「ちょっ!ちょっと待って…待ってよ!手塚!?」
最後の声はもはや悲鳴に近かった。
手塚は僕を置いて行ってしまった。
僕一人をこの場に残して。
(好きだった…不二)
手塚の声が頭の中に木霊して、離れない。
「なんなんだよ…ばか…ばかやろう…」
わからない。
わかりにくいよ、君の想いは。
僕とどうなりたかったっていうの。
僕をどうしたかったていうの。
「好きだ」という気持ちを共有したかっただけなの…?
ずるい、ずるいよ手塚…
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
僕は頭を掻き毟ってうずくまる。
瞳孔が開く。
息ができない。
苦しくて、苦しくて…
体中が苦しくて…
壊れてしまう。
心も体も。
何もかも。
手塚…
ああ、手塚…
気がつくと、僕は泥水の水溜りの中で、のた打ち回っていた。
もういっそ…
どこまででも堕ちてしまえばいい。
ただひたすら堕ちていこうと僕は思った。
失うものは何もない。
何一つ、残っていやしないのだ。
堕落すること。
了
不二誕まであと7日
気がつけば、僕は天井を見ていた。
正確に言えば、僕は自室のベットの上で、手塚に押し倒されていた。手塚は僕の上にのっかって、無言で僕のワイシャツのボタンをゆっくりと、ぎこちない手付きで外していった。
のしかかる手塚の体重が重かった。
手塚は今俗に言う「行為」を僕の中に求めている。
そしてやんわりと、その事実を受け入れて、無抵抗に見慣れた天井を見上げている僕がいる。
なぜこんなことになったのかと僕はぼんやりとした頭で、呆然と考えた。
手塚が僕の家に来るのは、なにも今日がはじめてではなかった。
それはとても些細なきっかけだった。
部活の休みだったある日、偶然昇降口で手塚と顔を合わせた。まったく知らない仲じゃないし、僕達は他愛のない会話を弾ませて、肩を並べて校門を後にしたのだ。
それは非の打ち所がないほど、すごく自然な流れだった。
それから帰路を共にする会話の中で、手塚が今読みたくて探している本が、僕の部屋の本棚にあることが判明したのだ。
だから僕は言った。
別段深い意味はなかったんだ。
「それじゃあ僕の家に寄っていけば?その本、貸すよ。」
それは僕の親切心から出た言葉だった。僕の家は、手塚の通学路の途中だったし、もし相手が手塚ではなかったとしても、例えば相手が大石でも英ニでも乾でも僕は同じ台詞を口にしたことだろう。
手塚は「そうだな、ありがとう。」とか相変わらずの、しかめっ面を浮かべて相槌を打っていた。
うん。ここまでは、全然自然な流れだ。おかしなところだって見つからない。そうだろ?
手塚を自室にあげて、はじめて僕はその日違和感を覚えた。
僕の部屋に、手塚がいる、というその現実が、僕にとってすごく不思議なものに思えたのだ。
僕の部屋に友達が遊びに来るなんてことは、小さな頃からよくあることだった。
現にテニス部の同級生で言えば、タカさんや英ニ、乾なんかがうちに遊びに来たことがある。
その時は、別段こんなに自分の部屋を他人に見られることに意識を向けたことはなかった。
手塚だから、だと僕は思った。
僕と手塚は、特別仲が良かったわけじゃない。チームメイトとしてもちろん彼とは毎日のように顔を合わせていたし、機会が巡ってくれば、ごく自然に会話を交わす。彼のテニスの腕は、僕も一目置いていたし、練習熱心なところも尊敬していたんだ。周囲は僕と手塚を良く比較してはライバル扱いしていたから、僕と手塚が実は仲が悪いんじゃないかなんて、影で噂をする人もいたけれど、僕は別に手塚が憎いとか、嫌いだとかそんなふうに考えたことはなかった。手塚が僕をどう思っているかなんて、僕には検討もつかないけれど、手塚と交わす日常会話からは、別段僕を嫌っているようには見えなかった。
ようするに、きっかけ、というものがなかったんだ。
例えば、英ニのように、お互いの家を行き来し合ったり、放課後や休日も互いに時間を共有し合って遊んだり、そんな「特別に」仲良しの友人だと気兼ねなく言い合える存在になるための、きっかけ、がなかった。
だから手塚が僕の部屋に遊びに来ている(といっても本を借りにきただけだけど)というこの状況が、僕にはものすごく不自然に感じられた。
僕は手塚を部屋に通すと、「とりあえず、適当に座ってて」と言って部屋を出た。
母さんが紅茶とお菓子を用意するからとりにいらっしゃいと言ってくれたから取りにいったんだ。
僕がお菓子とティーカップの乗ったトレーを運んで部屋に戻ると、手塚は僕の部屋の本棚に並ぶ書物を興味深そうに眺めていた。
「君が探している本はこれでしょ?」
僕はその時、手塚が目的の本を探しているものだとばかり思っていたから、その本を棚からとって彼に渡した。手塚は本を受け取った後も、しきりと僕の本棚を眺めていた。
それで僕は手塚の興味の対象が、本来目的だった本から僕の本棚に並ぶ書物に写ったことを知ったのだ。
「何か気になった本でもあったのかい?」
熱い紅茶を啜りながら僕は聞いた。
「ああ。知らない作家ばかりで、興味深い。」
手塚はいつもどおりの無愛想な顔で、僕の家の紅茶を啜った。
僕はこの時初めて、手塚が紅茶に砂糖を入れることを知った。
なんとなく、手塚の大人びた顔から、無糖派をイメージしていたから、これは僕にとって新鮮な真実だった。
それから手塚は僕の部屋で黙々と、本を読み始めた。
その本は僕が手塚に貸した本ではなくて、手塚が勝手に僕の部屋の本棚から抜き取った本だ。
手塚が岩のように動かなくなってしまったことに僕は少しだけ驚いた。
手塚はお茶を飲んだらすぐに帰るだろうと、なんとなく思っていた。借りた本をすぐに読みたいだろうし、手塚が誰か友人の部屋で、遊んだりくつろいだりする、という姿を僕は想像することができなかった。
手塚と遊ぶと言っても、手塚はすっかり本の世界の住人で、「うん」とも「すん」とも言わなくなってしまったから、僕は僕なりに好きにさせてもらうことにした。
ここは本来僕の部屋なわけだし、何をしても僕の自由だと思った。だから僕は勝手に音楽を聞いて、雑誌を見たり、それに飽きたら英ニに借りた携帯ゲームをしたりしながら適当に温い時間を過ごした。一人で部屋を過ごす時と同じように。
手塚は時折言葉を発した。「これは何の曲だ?」とか「それは何だ?」とか他愛の無いことだ。ソレに対して僕も今聞いてる曲が、僕の好きなケルト音楽であるとか、僕が今遊んでいるゲームが英二から借りたもので、今世間で流行っているものなんだとか、当たり障りのない返事をした。そうすると手塚は「そうか」と言ってまた書物の世界に戻っていくのだ。
僕もまたごくたまに気まぐれに「その本、面白い?」とか「今どのあたり読んでるの?」とか尋ねたりして、手塚もまた当たり障りのない返事をした。
僕達二人の間は会話を楽しむ時間よりも、沈黙の時が長かった。それはおしゃべり好きな英ニや乾と遊ぶ時と比べれば、違和感はあったけれども、僕はこの暖かい沈黙が嫌いではなかった。
やがて窓の外が暗くなると、自然と手塚は帰って行った。
僕の部屋には2つの使用済みのカップが残っていて、手塚がうちに来ていたことが現実であることを物語っていた。
それ以来、手塚は頻繁にうちに遊びにくるようになった。
別に僕がしつこく誘っているわけじゃないし、手塚が来たいと懇願してくるわけでもない。
なんとなく一緒に帰ることになって、なんとなく「寄っていく?」「ああ…」という流れが主だった。
移り行く日々の中で変わったことは、手塚が僕の所有するCDの曲名を全て空で言えるくらい詳しくなったことと、僕の部屋にある本をほとんど読みつくしたことだ。手塚はもはや同級生のどの誰よりも僕の部屋に詳しくて、僕が新しいCDや本を買ったりすると、それに一番早く気がついた。
僕の部屋にある書物を読みつくしても、手塚は僕の部屋に遊びに来た。
特に目的がなくとも、僕達中学生が暇を持て余すことはなかった。世の中は忙しなく動いていて、僕も手塚もそんな世界の一部だった。時には一緒に宿題したり勉強を教えてもらったりしたし、乾から借りたDVDで他校の試合を一緒に見て、意見しあうこともあったし、手塚が持ってきたCDを聞いたり、手塚オススメの映画を見たり、することは無限とあった。
そして今日もそんな些細で穏やかな日常の一部だった、はずなのだけれど。
今日は僕と手塚以外家の中には誰もいなかった。
姉さんは、仕事で遅くなるって言ってた。母さんは法事があるとかで遠くの親戚の家に出かけていて、やはり帰りは遅くなるらしかった。祐太は言わずもがな、寮生活で帰ってこないし、父さんは単身赴任中だ。
それで僕は手塚を誘った。
「今日は家族が皆出払っていて夕飯は一人だから、一緒に食べない?」って誘ったんだ。
夕飯は僕が作ることになっていたけれど、僕一人で食べるのも味気ないから手塚を誘ったんだ。
今考えるとなぜ手塚だったんだろうって思う。
別に誰でも良かったはずなんだ。英ニでも乾でもタカさんでも。
手塚はもちろん嫌だなんて言わなかった。
それから手塚は僕の家にやってきた。手塚はやってくるなり僕の部屋で、本を読み出した。まだ夕飯を作るにしては早い時間だったし、僕は新しく買ったCDを聞いてベッドでごろごろしていたらいつの間にか寝てしまった。
そして気がついた時、僕は天井を見ていたんだ。
でも今の僕は、とてつもなく落ち着いていて、穏やかな気持ちで、手塚を受け入れようとしている。
本当はずっと前から僕は、手塚の気持ちに気付いていた。
手塚の興味を引いたのは、「僕の部屋にある見知らぬ書物」ではなくて、「僕が好む書物」であり、「僕が好む音楽」であり、総じて言えば「僕自身」だったのだ。
きっと僕が手塚を家に誘ったことも些細なキッカケだったように、あの厳格な手塚が僕なんかに恋に落ちたキッカケも些細なことだったのではないだろうか。僕が手塚の気持ちに気がついたことも日常の些細なキッカケだった。
そして友達という関係が、終焉を迎えて、肉体と肉体が繋がりあう関係に落ちるのも、些細なキッカケにすぎないのだ。
僕は今日、この行為を終えたら、手塚のために腕を振るったディナーを食べながら手塚に聞こうと思う。
「君はどうして僕のことが好きになったの?」
手塚は眉を顰めながら、僕の料理を食べながら、その理由を答えるだろう。
彼は一度だって僕に「NO」と言ったことがないのだ。
そして手塚もまた僕に問うのだ。
「俺が好きか?」と。
一線を越えてから愛の真相を確かめ合うなんて、順番がズレているけれど、手塚らしいといえば手塚らしいと僕は思う。だって彼はいつだって、唐突なんだ。
そうして僕達ははじめて恋人と呼び合える仲になるんだ。
僕はもう彼の言葉に答える準備が出来ている。
君と過ごす穏やかな沈黙が、僕はたまらなく好きなんだ。
気がつけば、僕は天井を見ていた。
愛しい彼の腕の中で。
了
ラストです。
昔からヤンデレ萌えだったようです;;
具合が悪いから帰ることにしよう。
そう思って俺は部室を出た。
手塚に一言言えば、大丈夫だろうそう思った。
なんだか大石に顔を合わすのも英二に顔を合わせるのも嫌だった。
部室を出ると、壁に手塚が寄りかかっていて驚いた。
「てっ手塚!?」
いつからいたんだろうか。
「不二…」
手塚は僕を見下ろして言った。
「不二は菊丸が好きなの…か?」
視線が定まっていなかった。物凄く緊張しているのだろうか。僕が英二にキスしたのがそんなに衝撃だったのかな。
「好きじゃないよ。英二は友達」
うつむいて言った。背中が痛い。でも事実だ。
「俺は…不二が…好きだ。付き合ってくれないか?」
どんな思いで手塚はこの台詞を吐き出したのだろう。
「………。」
沈黙が続いた。
いつも背中に注がれる視線がこの時ばかりは顔面に注がれていた。
痛い…その痛みは部位が変わったと言うだけで死にそうなほど痛みが強まった。
「僕は…」
チラリと手塚の表情を覗く。
「手塚も好きじゃない。」
そうはっきり言ったら後の台詞は糸も簡単に喉から滑り出て来る。
「僕は男だよ?手塚の思考回路は理解不能だな。頭がおかしいんじゃない?」
「不二…」
手塚が眉を潜めた。悲壮感ただよう表情が更に僕を追い立てた。
「気持ち悪いよ。もう辞めて。手塚はいつも僕を見てた。ずっと気持ち悪いと思ってた。もううんざりだから」
そう言って俺は逃げるようにその場を走り去った。
傷ついた手塚の顔。
心地よい。
僕は手塚を傷つけた。
僕は手塚に勝ったんだ。
そう思った。
僕は勝った。手塚の負けだ。
僕は勝った。
そう思うとうれしくてうれしくて笑みがこぼれ落ちる。
「手塚に勝った…?」
こんなことで勝って…そんなことで…本当に嬉しいんだろうか。
「は…はは…」
逃げ帰って階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ僕の心はいつの間にか冷静さを取り戻していた。
「嬉しいに決まってるじゃないか!」
バン
と僕は鞄を壁に思い切り投げた。
「僕は手塚に勝ったんだ!」
なぜこんなにイライラしなければならないのだろう。
僕は手当たり次第に本棚の本や机の上のものを壁に投げつけた。
「僕は…!」
気が付けば僕は大量の涙を流していた。
気が付けば僕の周りには何もなくなっていた。
何もない…!
何も…!
「僕は…テニスで勝ちたいんだ…」
苦しくて僕はわあわあ泣いた。こんなに泣いたのは、いつぶりかわからない。
僕はいつもテニスと私生活を混同してしまう悪い癖があった。
ニコニコ笑って自分の本当の気持ちをひた隠していれば、相手は僕の心理が読めず試合に負けることがない。
僕はいつも笑った。
そうすれば負けない。
気が付けば、僕は私生活でも誰にでも笑顔を向けるようになった。
つらいことも嫌なことも笑っていれば過ぎ去った。
本当の自分を見せなければ、人に忌み嫌われることもない。
僕の生きる術をぶち壊したのは手塚だ。
僕の仮面を引きちぎったのは手塚だった。
手塚なんか嫌いだ。
手塚のせいで気が付いてしまった。
僕は誰にも自分の素顔を見せたことがない。
本当の自分を誰も知らない。
僕は世界で一番孤独で滑稽なピエロだ。
月日が流れるのは早い。
僕と手塚はギクシャクした関係のまま大会は進んで行った。
しばらく手塚は僕を見なかったけれど気が付けば手塚はやはり僕を見ていた。
言葉は必要以上に交わさない。だけど射るような熱の籠もった視線だけが手塚の変わらない恋心を物語っていた。
運命の氷帝戦で…手塚は負けた。
手塚は肩を故障した。
何をやってるんだと僕は手塚を殴りたくなった。
僕が何をしても勝てない手塚が…負けることがあるなんて。
歯がゆかった。
それから手塚は肩の治療をするため九州に行ってしまった。
慌ただしい日々だった。
手塚と別れて生活する日常がこんなにも早く訪れるなんて僕は露ほどにも考えたことがなかった。
「ふ~じっ!」
あれからゴールインしたらしい黄金ペアの片割れが後ろから僕に抱きついてくる。
手塚との一件以来僕は英二には手を出さないようにしてはいるんだけど、英二はよくスキンシップのつもりか抱きついてくる。
「ん?どうしたの英二?」
「不二が悲しそうな顔してた。手塚がいないと寂しい?」
ギクリとした。
僕は今日も普通に普段通りに笑っているつもりだった。
「そんなことないよ」
フフッと笑うと英二は眉を寄せた。
「不二のうそつき。」
これには苦笑するしかなかった。確かに手塚がいないと心に穴があいたようだった。
でもそれは手塚が恋しいわけじゃない。
手塚の視線が…あの射るような熱視線を感じることができない…ただそれだけのことで、僕はもうどうにかなってしまいそうだった。
狂っていたのは手塚なんかじゃなく…僕だったのかな…。
手塚のことを思い出すだけでこんなにも胸が痛いんだ。
「ふっ不二?!」
英二が驚いて僕の顔を見た。
ああ…また…。
僕はしらぬまに泣いていしまう。
手塚を思い出すだけで無意識に。
あの眼が恋しくて。
「どこか痛いの!?不二?!」
ポタポタと掌に滴が垂れ落ちる。
「痛い?」
痛い…胸が潰れそうだ。
「あっははは…」
泣きながら僕は笑った。
僕はおかしくなってしまった。
狂ってる。
手塚の視線が欲しいなんて。
「あははははははは…は…」
なんで僕は笑っている?
なんで僕は泣いている?
なんで僕は…
僕の本当の気持ちは…どこ!?
頭が痛い…心が痛い…
「うああああああああ!!」
わけがわからなくなって僕は絶叫して頭を抱えてうずくまった。
痛いよ…手塚…
狂ってる…何もかも
君がいないだけでおかしくなる。
苦しい…。
苦しいんだ手塚…。
僕を見て。
狂った視線で僕を見てよ。
狂っているのは僕だけじゃないって教えて…。
手塚…。
君に会いたいんだ…。
人を愛することがこんなに苦痛だったなんて知らなかった。
了
昔(1、2年前)くらいに書いた塚不を発掘したので載せます。
背中にいつも感じていた。
射るような痛い熱情的な視線。虫眼鏡で太陽の光を照らされるようで… まるで背中がやけ焦げてしまいそうだった。
僕が気が付かないと思ったら大間違いだ。
熱視線
「えーいじっ」
「うにゃぁっ!」
冷えたタオルをそっと英二の首筋にあてた。案の定というべきか…予想通り大声をあげて反応する相手を見て自然と笑みがこぼれ落ちる。
「ふ~じ~!」
くるりと振り返った英二は、ニヤリと笑った。
「よくもやったにゃあ!!」
そう叫んで僕の両脇をくすぐってきた。これはつらい。
「あは、あははははは!!」
これ見よがしに大声で笑いながら僕は身をよじった。
感じる。
背中に射るような熱視線。
僕が誰かとじゃれつくと途端にそれは強くなる。
相手が英二の時は更に強い。
ゾクリと
身震いした。しかしそれがまた癖になる。
「よくもやったね…」
俺は背中に神経を寄せながら英二の脇をくすぐる。
「やっやめるにゃあ…!ぎゃははは!」
英二は涙目になってころげまわる。
きっとそろそろ…。
名前を呼ばれる。
「不二」
思った通り。普段と変わらぬ低音が僕の名前を呼んだ。
「こっちにこい、不二」
言われた通り僕は英二のそばを離れ相手に近づく。
ただし
ふてくされたような顔をするのは忘れない。
君にはむやみに笑顔を振り向かないって決めてるんだ。
「なにか用?手塚」
英二とふざけあっているのを邪魔したとばかりに非難の視線で相手を見つめる。
「部活中にふざけるな」
「僕だけじゃないよ、英二もだ」
英二、というところを自然と強く発音する。
ただでさえ険しい手塚の顔が、更に険しくなる。
「言い訳するな」
「はいはい」
「不二」
「別にちゃかしてるわけじゃないよ。望みは何?グランド二十周かな?」
「いや…走らなくていい。」
「ふーん」
「ここにいろ」
「はいはい」
俺はわざと苦笑して肩をすくめてみせた。
こうなることはわかっていた。
隣に立つ手塚が妙にイラついているのが愉快でならなかった。
手塚は僕に惚れてるんだ。
というのはすぐにわかった。
手塚は隠しているみたいだけど不器用だから僕はすぐに知ってしまった。
手塚は僕が誰かといると絶対僕を見る。本人に自覚があるかどうかは謎だが、僕は手塚の視線を感じるたびにゾクゾクした。
とりわけ英二とじゃれている時は強い。
あまりに行き過ぎたことをすると手塚は我慢できなくなって僕を呼ぶんだ。
手塚のどす黒い嫉妬心や執着心、独占欲なんかがストレートに伝わってくる。
そんな手塚の心中をきっちりと把握したうえで、手塚を掌の上で転がすように弄ぶのはこの上ない快楽を僕にもたらすのだ。
はっきり言うが僕は手塚なんか好きじゃない。手塚の人柄は嫌いじゃないが、恋愛感情とはまた別問題だ。
同性愛に理解もないし、どうせつきあうのならふわふわした可愛らしい女の子が良いに決まっている。
僕はどうしてもテニスで勝てず打ちのめされて瀕死の状態である自尊心を少しでも回復させたい…ただそれだけの欲求のために手塚で遊んでいるにすぎなかった。
それでも初めの頃と比べると僕の悪戯は日に日にエスカレートしていくようだった。
もっともっと僕を見て欲しい。
狂うほどに僕を見て。
そう考えるようになった僕の思考回路も相当いかれてきたように思われる。
手塚はテニスでは僕を見ない。
手塚をライバルと思っているのは僕だけじゃない。
僕なんかより強い選手が何人も手塚をライバル視している。
テニスの世界において僕は手塚を振り向かせることも、束縛することも焦がれるほどに胸を苦しめることもできない。
だから手塚が僕に惚れてくれたことは神様にどんなに感謝しても感謝しつくせないほどだった。
手塚が僕に気があるなら僕は手塚を追いつめ苦しめることができるのだから。
これはテニスに勝てない八つ当たりでもあったし、手塚に勝てない僕の苦しみを少しでも味あわせたかったからでもあった。
とにかく僕は必死だった。
ドウスレバ手塚ハモット苦シムノカ
モットモット手塚を苦シメタイ
「えーいじっ」
「ん?」
それからしばらくして僕の行為は英二の唇を奪うまでとなった。 僕は無防備な英二にチュッと軽いキスをした。
「ふじっ~!なにするにゃあああ!」
英二は真っ赤になって怒って僕を追いかけまわした。
「英二がボーっとしてるのが悪いよ」
そう言って英二に追いかけられながらも僕は背中に全神経を集中させていた。
強い視線ー…
ゾクリと身震いする。
熱くて痛い、絡まるようで直線的だ。
そろそろ手塚は僕の名前を呼ぶだろうか。
「不二」
と怒りを秘めた声で僕を呼んだのは手塚ではなかった。
「不二、話がある。ちょっといいか」
珍しく凍りのように冷たい表情をした大石がそう言って痛いくらいの握力で僕の右腕をつかんで僕を誰もいない部室へ引っ張って行く。
「不二」
大石は僕を睨んで言った。
「最近英二にちょっかいだしてるみたいだけどどういうつもりなんだ?」
手塚よりも先に爆発させてしまったのはどうやら副部長のほうらしかった。
「大石…。英二が好きなの?」
クスリと笑う。
まさか同性愛者が部内にもう一人潜んでいるとは思わなかった。
「ああ、好きで悪いか!」
失笑したのがしゃくに触ったのからしくもない副部長は僕の襟をつかんでロッカーに叩きつけた。
「不二のような人の心をなんとも思ってない奴には英二はやれない!」
大石は凄い目つきで僕を睨んだ。こんな怒り方ができる人間だなんて知らなかった。
「次にまた英二に変な真似したら許さないからな!」
そう罵倒して大石は荒々しく部室を出ていった。
バタンと
戸が大きな音を立て痛そうに閉まる。
ズルズルと俺はロッカーに背を預けてしゃがみこんだ。
大石に思い切り背中を叩きつけられたせいで、背中が痛くてジンジンした。
「あははは…」
辛いた笑いが自然とこぼれだす。
何をやっているんだ僕は。
馬鹿らしくて馬鹿らしくて僕は笑って、少し泣いた。
本気で人を好きになるなんて馬鹿げている。
「あははははははは…は…」
僕は今世界で一番醜い生き物と言えるかもしれない。
続
注:関東決勝後、不二が立海に転校する話です。
あと3話ほど続きます。
2.似ている二人
「はじめまして。不二周助です。」
不二周助は、黒板の前に立って教師の紹介を受けると、そう言って頭を下げた。
クラスメイトの好奇の視線を、不二は柔らかい笑みで受け止める。
3-Cに在籍する幸村精市とは、テニス部を通して顔見知りということもあり、教師は融通を聞かせて、幸村の隣に席を用意してくれた。
よく日のあたる窓側の一番後ろの席である。
「ふふっ教室でもよろしくね、不二君。」
「今朝はありがとう、幸村君。君が向かえに来てくれて、とても助かったよ。君がいなかったら、迷子になっていたかもしれない。」
「あはっ、君は面白いことを言うね。」
青学と立海では、教科書が違うので、隣の席の幸村がしばらくの間机を寄せて教科書を見せ合うこととなった。
「…………僕の顔に、何かついてるかな?」
不二が再び口を開いたのは、理科、国語、数学、と続いて4限目の歴史の授業中である。
授業中、ずっと幸村の視線が絡み付いて、離れない。
「なにもついてないよ。綺麗な顔だなあと思って、さ。眺めていて全然飽きないんだ。」
悪びれるそびれもなく、幸村は言った。
「それはどうもありがとう。でも少しは黒板見たほうが良いんじゃないのかな?」
「いいんだよ、授業なんて。それより俺は、もう少し君の顔を眺めていたいんだ。」
(僕は、落ち着かないんだけどなぁ…)
不二は心の中で溜息をつき、小声で続ける。
「……転校生が、珍しいのかな?」
「ふふっ。それもあるね。」
「う~ん…。じゃあ僕が珍しいのかな?青学の不二周助が。」
「もちろん。天才と名高い不二周助が、普段はどんな顔をして授業を受けているのか、俺は非常に興味があるよ。どんな字を書いて、どんな表情で教科書を眺めるのかな、とかね。俺は、テニスコートにたつ君しか知らないからね。」
「………君のほうが、強いじゃないか。僕よりも。」
「そんなのは、試合をしてみないとわからないじゃないか。俺と試合をしたことは、まだないだろう?」
「それはそうだけど。幸村君に勝てる人っているのかなぁ…って思って。」
クスクスと幸村は笑った。
「君はとても正直な人だね。正直すぎて、あまり勝利への執着心が持てないようだ。君の冷静さが、勝利への貪欲さを抑えてしまっているんじゃないかな。」
「……………。」
不二は眉を顰める。
テニステニステニス…。
(ああ、僕の周りは、テニスで満ちている…)
テニスという鎖が、不二の体を締め付ける。
「悪いけど」
不二は一呼吸置いて、静かに言った。
「悪いけど、僕はテニス部に入部するつもりはないんだ。君は、僕をテニス部に入れたいから、今朝からずっと親切にしてくれるんだろうけど、僕はもうテニスをするつもりはないんだよ。辞めるんだ。」
「へ~え?」
幸村は、不二がそう答えることなど、事前から前もってわかっていたと言わんばかりに、顔色一つ変えずに微笑んだ。
(彼は僕に似ている。)
微笑む幸村を、微笑み返して、不二は思った。
笑顔の仮面を被って、本心は誰にも見せやしない。
それは、不二と同じ生き方だった。
(我ながら、敵に回すと厄介な性格だな。)
幸村の本心は見えない。しかし幸村は不二の本心を見抜いているようでもある。
(彼の方が、一枚上手かもしれない。)
「俺は是非、不二君にはテニス部に入ってもらいたいと思っているんだ。レギュラーにも良い刺激になるだろう。もちろん僕にとっても、ね。君はどうしてテニス部への入部を拒むの?転校したとはいえ、まだ青学に未練があるのかな?全国で青学にあたったら気まずい?」
「まさか。青学テニス部に未練なんてないよ。この転校は僕が望んだことだもの。」
「そうだね。君は青学テニス部から消えようと思ったんだよね。」
「……………幸村君、君はさっきから何が言いたいの?」
「ふふっ。まあそう怖い顔するなよ。」
(調子が狂うなぁ…)
絶えない笑顔で、相手のペースを掻き乱すのは、自分の十八番であるはずなのに、幸村を前にすると、不二はうまく自分が作れなかった。
なにより不二は、自分の内側を一切見せていないはずなのに、幸村は的確に不二の急所をついてくる。まるで不二の抱える内側の全てを知り尽くしているように。
(難しい…やっかいな人に、捕まってしまったな)
「ねえ、不二君。君は本当にテニスをやめるつもりなの?テニスをやめてどうするの?」
「別にどうもしないよ。テニスだけが人生じゃないし。僕は写真部に入るつもりだよ。」
「へえ?いいんじゃない。それでも」
ほっと不二は胸を撫で下ろす。
「わかってくれたなら、よかったよ。」
「うん。本当は部の掛け持ちは認めていないんだけどね。俺が認めよう。君の実力と、俺の口ぞえがあれば、誰も文句は言わないだろう。週5日をテニス部の練習に当てて、週2日を写真部の活動に」
「ちょっと待ってよ。」
不二の言葉に、あわせるように教師の咳払いが続く。
つかめない相手の出方に、ついつい声が大きくなってしまった。
肩をすぼめて、小声を意識して、不二は続ける。
「ちょっと待ってくれる?僕はテニス部には入らないって言ってるじゃないか。」
「ねぇ」
幸村の真っ直ぐで強い視線が不二を射抜く。
「さっき俺に勝てる人間なんているのかなって聞いたよね?」
凄みのある相手に不二は息を呑んだ。
「今試合をやって、俺に勝てるかもしれない人間は、一人しかいないだろうと俺は思ってる。それはね、」
幸村は、不二の内側に居て、忘れようとし忘れられない人物を、二度と触れたくなかった名前を的確に射抜いた。
「手塚国光」
ああ、手塚。
愛しい手塚。
僕は君が愛しくて、憎らしくて、おかしくなってしまいそうだよ。
僕は、青学を辞めました。
君が愛して病まない青学テニス部を、自らの意志で捨てました。
僕は耐えられなかった。
君が青学に通うことも、君のいない部活に足蹴もなく通うのも。
そして僕は今新しい地にいます。
僕はこの学校で、全てを忘れて人生をやり直そうと考えているんだ。
テニスは僕に沢山の物事を与えてくれたけれど、同時に僕から沢山の物事を奪っていきました。とてもとても大切な物を奪っていきました。
それは君自身です。
僕はテニスよりも、君が大切でした。
君と移ろう季節を共に生きることができれば、僕は満足だったんだ。
でも君は、僕よりテニスを選んだんだ。
僕は失望したんです。
君やテニスや、己自身に。
だから僕はここで、全てを忘れ、新しい自分になろうと誓ったんだよ。
君のいない夏を僕は今歩き出そうとしている。
でもね、手塚?
人生はそう甘くないようだ。
続
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